2005年06月27日

日本について語る1

日本を出てから、日本の事がよく見えるようになった。

岡目八目とでも言うか、やはりちょっと距離を置くと客観的に日本の事が理解できるようにもなった。

今現在ハワイで私が仕入れる事の出来る日本の情報は、インターネットからがほとんどだが、日系のテレビでも民放とNHKのニュースを見ることが出来るし、「報道2001」のような政治番組も見れる。

アメリカに来て、「ふーん、アメリカはこうなんだぁ」と思うことは多いが、色々な国の人々と交流していると、「なんだぁ、こうじゃないのは日本だけかぁ」と気付く事も多い。

ある意味では日本は世界の中でもかなり変わった国だと思う。

巨大な中国や朝鮮半島に飲み込まれずに歴史を築いて来たし、技術力と言う点では世界に誇れる国だ。

しかし江戸時代の士農工商全てで上下関係のとても厳しい社会があり、上の命令に従って生きるという体制が長く続き、民主化された今でも民衆自身が日本と言う国の大局を真剣に考えてきたとは思えない。

私腹を肥やす事だけを考える政治家は減ってきた気もするが、何でも先送りする駄目な政治家は全く減らず、今、そのツケが色々な形で現れている。

「戦争を知らない子供たち」を聴きながら育った小学校時代には、これからの社会、世界はどんどん平和になり、世の中はどんどん進化して行くのだと思っていた。

朝鮮戦争もベトナム戦争も、日本は何も言う事は出来なかった。
「特需」と言う言葉を教わっただけである。

しかしそれもいつの間にか終わり、アジアには一見平和が訪れたようになった。

第2次大戦中に日本がアジア諸国に酷い事をしてきたと言う事は教わった。

そしてその罪滅ぼしの為にODAと言う形で橋や道路を作ったりしてきたと言う事も教わってきた。

日本自身も戦後の復興で、今の繁栄を築いて来た。

ソ連邦は崩壊し、ベルリンの壁も無くなり、東西の冷戦も終わった。

日本としては東アジアの国々と仲良くして、経済共同圏を作りたいとさえ思っている。

そこで最初に出てきたのは北朝鮮の問題だ。

南北朝鮮統一が先に進まず、日本としても何かやりたいが、今まで放置してきた人質、いわゆる拉致問題が表面に出てきた。

北の代表に直接会って交渉した小泉首相はある意味凄かったと思う。

交渉が上手かったか下手だったかは色々と意見の分かれるところだが、核開発放棄を求める6カ国協議の進展がなかなか無い現状を見ると、北との交渉は一筋縄ではいかないようだ。

日本がもっと早くから拉致問題に対して毅然とした態度で交渉に当たっていたら、展開は勿論違っていたと思う。

しかし北が問題にしているのは日本ではなくアメリカの動き。

同盟国とは言うが、アメリカに対して日本、韓国は軍事基地を提供して、ソ連崩壊後の今でも北朝鮮や中国に対して威嚇を続けているのは確か。

アメリカの動きについてはアメリカの話でするが、日本がアメリカに対してもいまだに何故このような弱い立場に無ければならないのか。

これもなかなか答えは出てこないが、日本について、また日本人について感じた事を書いていきたいと思う。

posted by じゅにーK at 09:22| ホノルル ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月10日

国連安保理常任理事国

日本のニュースでは「日本の悲願」と言われている国連安保理の常任理事国入りの問題だが、外から見ているとどうも冷めてしまう。

確かに今の国連安全保障理事会は第二次世界大戦の戦勝国を基準とした昔の体制で、現在の世界情勢はそこには収まり切れていない。

日本がドイツ、インド、ブラジルと組んで、アフリカを入れた6カ国を増やす案を出しているのは如何にもバランスが取れているようにも見えるが、それに消極的な国や反対の国もある。

日本は戦後、高度経済成長を遂げた後、世界中にODAをばら撒いて戦争の罪滅ぼしをしてきた。

しかしそれは日本企業を海外に進出させる為には大事な事で、実際に多くの日本企業が海外で成功してきた。

東南アジアでは橋や道路を作り、貿易も盛んになって、日本に対する印象も悪くなくなり、観光客が行くようになってさらに外貨を落とし、国連問題でも応援してくれている。

だが反対しているのはすぐお隣の韓国と中国。

どちらの国も内政問題から国民の目を逸らす為に日本を槍玉に挙げている点もあるが、結局今まで日本政府が毅然とした態度を取れなかったことが原因だと思う。

中国に関しては何しろ一党独裁の国であるから、教育方針といった政策はナショナリズムを中心に考えられている。

先日中国で日本に対する暴動があった時は私も上海にいる友人をとても心配したが、実際は大した事がなかったようだし、都市部の中国人は逆に迷惑がっていたと言う。

サッカーの試合の時も騒ぎがあったようだが、これらの抗日の動きはかえって将来の中国を傷つけるということがわかれば、政府も半日教育の方向を変えるのではないかと思っている。

何しろオリンピックや万博を控えて、経済成長を一気に加速させたいと思っているに違いない中国にとって、日本を敵にするのは良策ではないし、ましてや戦争など何の得にもなら無いからである。

韓国に着いては「韓流」などと、日本内では大変良いムードだっただけに水を差した。

しかしここでも第2次世界大戦が問題になっている。

さらには小泉首相の靖国参拝問題。

これらも結局今までの日本政府が何でも先送りにしてきたツケなんだと思う。

中国としては、今の日本人が悪いのではなくA級戦犯が悪かったのだと言う考えで国交を正常化させて一応戦後の仲直りをしたのが、総理大臣がA級戦犯をお参りするとは何事か!と言う立場。

誰がどこにお参りに行こうが、信教の自由。

それを他の国の人が言うのはやっぱり変。

ただ、過去にほとんどの総理大臣が参拝していなかった事で、前例を作ってしまった。

他から見れば「何か考え方が変わったの?」と思われても仕方ない。

もともと国の慰霊施設として作られた靖国神社を一般の宗教法人にしてしまったのは戦後処理に当たったアメリカ。

アメリカは憲法問題にしろ、自分がまいた種で日本がどれだけ今大変な状態になっているのかわかっていない。

そこで日本は独自に自分たちを変えていくしかないのだ。

靖国神社はA級戦犯の分祀を拒否しているが、東京裁判の正当性やサンフランシスコ講和条約の受け入れ方によってはそれも理解できる。

新しい国家追悼施設と言うのは現実的でないというが、結局はこれが一番必要なんだと思う。

私の意見としてはもう一度靖国神社を国家施設にしてしまうのがイイと思う。

そうすれば天皇陛下も参拝できるようになるではないか。

まあ、この話は今後さらに見守っていかなければならないし、戦後の歴史認識もある程度は一致させなければいけないと思うのだが、それらをネタに反対されている国連の常任理事国入りは本当に日本に必要なのだろうか?

世界中の国に対してどれだけ貢献したかで理事国入りを望んでいるのなら、常任理事国は国連内で選挙を行って決めるように変えれば良い。

核兵器を持っている国だけが常任理事国になれるのなら日本は無理。

国連改革は現在の常任理事国の権益を奪う事になりかねないのだから、どうやってもまともなアイデアは出てこないだろう。と私は悲観的。

結局日本は「常任理事国」と言うブランドを欲しがっているだけのようにも見える。

先進国と言ったって、借金だらけのこの国でなぜ子供が毎年減っているのかをよく考えなければ、国連どころの話ではなくなる。

実際に一番内政問題から国民の目を逸らそうとしているのは日本かもしれない。

posted by じゅにーK at 18:15| ホノルル ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月10日

衆議院解散

郵政関連法案が参議院で否決され、小泉首相が衆議院を解散した。

また日本の政治が少し面白くなってきた。

自民党に深く根付いている、いわゆる族議員を追放し、派閥に関係なく、自分の信念を持って内閣を組織し、改革を断行してきた小泉首相は、ここで国民の審判を問うた。

自民党は今や分裂の危機に置かれたが、これこそが政界再編の第一章の気がする。

この際自民党がどうのこうのではなく、小泉流で日本を変えていくか、旧態依然とした派閥や族議員を生み出す土壌を続けるかの選挙になると私は思う。

戦後60年目の節目にして、安倍幹事長代理や石原東京都知事などやや右寄りと呼ばれる人達の発言に人気が集まっているが、これは別に軍国主義思想などでは全くなく、日本を主権国家として自分たちの意見をちゃんとはっきりと主張できる国にしようと言う考え方が浸透してきている結果だと思う。

そんなときに派閥だとか、族議員だとか、さらには談合だとか、いい大人がやることでは無い。

もっと大人にならなきゃ外国とは渡り合えない。

アメリカにすっかり骨抜きにされ、文化・経済的に感化され、日米安保の元に軍事基地を提供してアメリカの軍事戦略の片棒を担いでいる今の日本は、戦後の平和主義を認めてもらう事が出来ず、近隣諸国から仲良くしてもらえない。

この状況を今の日本人が活力を取り戻す為に有効利用しない手は無い。

世界に日本の立場を説明する為にはとても良い時期のように思う。

まだまだ今の日本に出来る事は小さいかもしれない。

しかし目標を持たない国家が繁栄するとは思えない。

小泉さん!是非自民党をぶっ壊して、新しい日本を作って欲しい。

この際「自民党」と言う名を誰が継ごうと問題では無い。

日本人に自信と勇気をもたらしてくれ!

これからどうなるか本当に楽しみ。

私は既に日本の選挙権は無いのですが、これを見た皆さん!是非選挙に行って自分の意見を表明してください。

祖国の繁栄を願って。
posted by じゅにーK at 20:07| ホノルル ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月19日

政界再編第1章

とうとう自民党が壊れ始めた。

綿貫氏、亀井氏らが国民新党を結成して、今後は地方の自民党がどうなるか。

ただ、小泉首相の人気はいまだに高く、郵政民営化への支持率もある。

しかし、この選挙で自民党が勝って、郵政民営化を可決しても、その他の問題に対してはどうなるのか?

自民党が「刺客」と称して反対派議員の立候補地に送り込んだ国会議員たちは、郵政法案に賛成した後、山積する日本の抱える諸問題に対してどう対処していくのだろうか?

ホリエモンまで出て来るそうだが、全て小泉首相や自民党執行部の言う事ばかり聞いていられないとも思う。

とりあえず小泉さんの首相の任期が切れるまでは、小泉流改革を推し進めるのだろうか?

それにしても民主党は頼りない。

反小泉だけでは絶対無理なのに、政策をちゃんと上げられない。

寄り合い所帯なのは自民党も一緒だが、後見人の前総理大臣の意見さえ聞き入れなかった小泉さんが持つ強性さとカリスマ性が岡田さんには無い。

二大政党を目指すならもっと日本人の心をつかんで欲しい。

来月の選挙までにまだまだ動きはありそうだ。
posted by じゅにーK at 18:08| ホノルル ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

自民党圧勝

いよいよ小泉劇場第3幕が始まる。

しかし連立与党で3分の2の議席を取るとまでは思っていなかった。

野党の選挙戦術が上手くなかった事もあるが、小泉さんは表面的なわかりやすさだけで投票率を上げ、今まで選挙に行かなかった層も取り込んでしまった。

自民党執行部を横に並べての記者会見では、みんなとても眠そうな眼をしていたが、郵政改革の「後」は今までの年金改革などを先に進めるだけとしか言わなかった。

自分の任期はあと一年。

この選挙で郵政改革法案が成立することがほぼ決まったので、これで小泉首相の仕事は終わったのだろうか?

なにしろ消費税を上げるには自分が総理を辞めなければならない。

そうなると次の自民党は誰か?

今や衆議院で3分の2を持っているのだから、憲法改正も視野に入れて、かなりの事は出来るはず。

だが、それがどれだけ国民のためになるのか、結局大企業優遇と言われる様な事になれば、次の総選挙では本当に民主党への政権交代もありえるかもしれない。

民主党も次にどんな代表を持ってくるのか大きなポイント。


今回は自民党は80名以上の新人議員が誕生したようだが、一致しているのは郵政民営化賛成と言うだけなので、彼らの今後も楽しみ。

日本は今小泉首相と自民党を信じるしかない。
posted by じゅにーK at 19:47| ホノルル ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日

党首討論

遅い夕食を済ませてからテレビをつけるとNGNで国会中継が始まった。

小泉対前原の党首討論。

途中までは相変わらずの余裕の小泉節だったが、日中関係の話になってから前原がスパートをかけた。

いや〜、面白かった!

じゅんちゃんピン〜チ!!

靖国参拝は悪いとは思わないが、その説明をちゃんとしないから中国や韓国に言われっぱなしで、結局関係は確実に悪化している。

将来のビジョンを持った、大局的な前原の意見は面白かった。

これは日本では夕方の5時くらいだからライブで見てる人って多くは無いと思うが、時々NGNでは放送される。

一杯飲みながらの国会中継は小泉が首相になってから面白いが、民主党の前原代表は田中真紀子以来の存在感だった。

鳩山、菅、岡田のそれぞれの元代表よりも攻め方が上手かった、と言うか小泉の後は再び政局になるかも知れない。

今後の民主党の勉強次第か?

posted by じゅにーK at 17:24| ホノルル ☀| Comment(0) | TrackBack(2) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月26日

党首討論

ハワイでは夜の9時半からNGNで、「お元気ですか?日本列島」というNHKの、なんともポワ〜ンとした調子の(一応)ニュース番組を平日に放送している。

この番組は日本時間の午後2時から5時くらいの、テレビなんて見てる人いるの?という時間帯で放送されている番組である。

日本各地を中継でつないでニュースを巡る「ぐるっとニュースの旅」なるメインコーナーがあるのだが、ニュースの重要度や事件性より、地域の順番重視というスタイルで、殺人事件→花の開花→詐欺事件→祭りなどという見ている者には油断をさせない順番が売り(??)。

しかし相撲が始まると半分に減らされるし、何かで中止になる時も多い。

夕食後、付けっ放しにしていたテレビから、「お元気ですか?」のノホホ〜ンとした音楽が流れてくるかと思ったら、ザワザワ・・・。

メールを書いていたのでちょっと耳を澄ますと、「国会中継です」。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

先週に続いての舌戦が見れると思うとラッキーな気がした。

今週は前原の舌の回りが悪く、小泉の余裕が印象的だったが、前原の地方分権の突っ込みは鋭かった。

まあ今日のはまだ前原に軍配という感じだが、先週に比べたらちょっと勢いが落ちた気がした。

posted by じゅにーK at 19:47| ホノルル ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月19日

人口減少

日本のニュースを見ると、大雪の話に次いで、来年から日本の人口が減少になるという話題に目が留まった。

高齢化社会、少子化、とくれば人口は減少するに決まっているのだが、これからの日本はどうなるのだろう?

ストーリー1:

少子化対策担当大臣なんていう役職まで出来たらしいが、子供を生んで育てるには厳しい環境が原因な事は間違いない。

育児休暇とか、託児所、教育費の問題、セキュリティーの問題などだけではなく、子供を生まないのは将来子供が育った時の社会に希望が持てないのが一番の原因なのではないだろうか?

国が巨額の借金を抱えていても、ODAや国連の分担金をがっぽり出し続けるのは、見栄だとしか思えない。
(日米安保を尊重し、アメリカに着いて行く気があるのなら、安保理の常任理事国入りは必要ないとも思う。)

もし家が借金だらけで、子供なんて産めますか?

道路公団や郵政民営化をはじめ、小さい政府による効率の良い行政はありがたく、民間の競争原理の中で無駄を省けば歳出削減にはつながるが、結局今の状況で増税は避けられない。

過去の政治家達が先送りしてきた借金のツケが、今の国民に重くのしかかろうとしている。

国民が日本に自信が持てる日はまだまだ遠い気がする。


ストーリー2:

だがよく考えると、やっぱり日本の人口は多過ぎるんじゃないだろうか?

まだまだ。

もっとゆとりを持って、大きな家に住み、大きな通りの走る町で、ゆっくり歩きたい。

なんて思う人が増えても不思議じゃない。

正直言って私もこの口。

優秀な遺伝子だけが残ればイイと思う。

ところが実際には日本人が減少しても、外国人が増えて、街の様子はあまり変わらないのかもしれない。


ストーリー3:

かつてカラカウアア大王も気に入った日本は、ハワイと同じような島国だったからと言うのが一つの理由だが、その気候は大分違う。

ハワイは緯度が低いため当然日本よりは暖かいが、ここに貿易風と言うのが通っている為に湿度は低い。

日本と同じ火山列島なので噴火による危険と、海に囲まれているため津波の危険はあるが、地震と台風はほとんど無い。

この地震と台風は、この数年の日本のニュースでは嫌と言うほど登場し、祖国はとても危険な場所なんだと言うことを感じる。

勿論日本人はその厳しい自然環境の中で素晴らしい技術を作り上げてきた。

しかし地球温暖化で海面水位が上昇すると、日本は半分位はすぐに沈んでしまうらしい。

春と秋が短くなり、夏と冬が厳しくなっているのは周知のことで、日本沈没と言うのが映画の話だけではなくなるとすると、人間の自然の本能で人口が増えなくなっているのかもしれない。


posted by じゅにーK at 19:06| ホノルル ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月06日

ミサイル発射

狂気のキムジョンイルがミサイルを発射した。

どう考えても北朝鮮にプラスになることは一つも無く、常識では考えられない行動だ。

既に軍の幹部が勝手に行動を起こしているだとか、自暴自棄になっているなどとの見方もあるようだが、アメリカの独立記念日を狙い、スペースシャトルの打ち上げ時刻に合わせ、日本の取材団が訪朝している時に発射を行ったことは、単なる偶然ではない。

前回の発射の時のように日本列島の上を通過するような緊張した事態は無かったが、国際社会から自粛するように言われていた訳だし、最低限の制裁でも北朝鮮に対する影響は少なくない。

そしてキムジョンイルや軍部が追い込まれて、さらに自暴自棄になり、さらに常識では考えられない行動を起こすことに繋がれば、これは恐ろしい事が起こる事態も考えられる。

アメリカまではミサイルは届かなかったし、差し迫った危機ではないとして、CNNなどでは今後の国連安保理や6カ国協議の予想についてしか解説されていなかった。

しかし日本は今回は被害が出なかっただけで、狂った国がすぐ隣にある事実は変わらず、ミサイルを使わなくても、それこそ風船爆弾などに生物化学兵器を積んで風に乗せれば攻撃される可能性はある。

つい先日、横田めぐみさんの元夫と言われる韓国人が北朝鮮で家族との対面を果たし、すっかり北のプロパガンダに染められているのを日本人は見たばかりである。

北朝鮮はこれで拉致事件の幕引きを図るつもりであったし、日本と韓国の足並みを乱す意味も持っていたと考えられるが、融和政策を進めている韓国でさえ、拉致されたと認めてきた人物が、拉致ではないと主張したり、今回のミサイルも韓国政府だけでなく韓国世論が味方になるとは思えない。

今後の国連などの動きによっては、北朝鮮は完全に四面楚歌の状態になる。

そんな中で韓国は日本海の日本領海内に調査船を出した。

日本政府は今までのような弱腰の対応や、先送りばかりでは済まない状況になっている。

日本国民が強い対応を求めている。

最悪の事態も、最悪の事態が起こった後のことも考えなければいけないと思う。

posted by じゅにーK at 14:23| ホノルル ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月11日

2007・JAPANツアー・Part1

なにしろ日本どころか、オアフ島を出るのもほぼ5年振りで、飛行機に乗るのも久しぶりだった。

ホノルル・エアポートには送り迎えで度々来ていたが、ハワイ旅行を終えて日本に帰る日本人旅行者達と一緒にチェックインの列に並び、エグジット・アイルをリクエストすると、あっさりと却下された。

3人掛けの真ん中に押し込まれ、早くもエコノミー症候群になりそう。

それでも、食後にブランデーを2本もらって、何とか少しは仮眠を取った。

やがて成田の畑が見えてくると、いつものようにどんよりとした空が出迎えてくれた。

飛行機を降りると、いつもは空いている「エイリアン」の入国手続きにも長い列が出来ていた。

いつの間にか入国のスタンプはステッカーに変わっていたが、やはり私は「上陸許可」。

上陸許可

撮影の仕事で先日ハワイで会ったばかりのM氏が、出口で待っていてくれた。

そのままM氏の車で都内に出る。

今回はデリバリーが私のメインの仕事だったので、永田町の届け先に荷物を運んで仕事は終了。

久しぶりに見た国会議事堂や皇居もまだピンと来なかった。

四谷の駅まで送ってもらって、中央線に乗った。

日本に帰るといつも楽しみなのは電車。

中学校から電車通学をしていた私には、電車はとっても懐かしい物の一つで、ようやく日本に戻ってきたと言う実感がしてきた。

まだ通勤ラッシュには少し早い時間を吉祥寺まで移動して、駅から徒歩10分ほどの母の実家に顔を出す。

いつもながら日本の街が小さく感じる。

再び吉祥寺駅に戻り、小学校時代の幼馴染達と会った。

途中では恩師も登場して、3件をはしごして、駅前で別れたのは午前2時過ぎだった。

そこからタクシーで実家のある仙川に帰って、長い一日が終わった。
posted by じゅにーK at 07:27| ホノルル ☁| Comment(5) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月12日

2007・JAPANツアー・Part2

翌日は母と水道橋のお寺にお墓参りに行った。

小雨混じりの空模様だったが、各地で早咲きの桜やコブシの花を見ることが出来た。

桜

コブシ

もうすぐ開幕戦の東京ドームもチラッと見て、新宿に出る。

今回は大阪にも行こうと思っていたので、ハワイでJapan Rail Passを購入していた。

これは海外在住者が日本へ行く時に利用できるJRの乗り放題のパスである。

1週間で28,300円もするのだが、大阪へ一往復すればほぼ元が取れるので、初めて買ってみた。

ハワイでは引換券だけ発行してくれたので、新宿で正式なパスと交換した。

Japan Rail Pass1

Japan Rail Pass2

また、丁度始まったばかりのPASMOも欲しかったが、これは引き落とし口座が必要だったり、額面が高かったので断念して、私鉄用のパスネットを購入。

パスネット

便利になったなぁと思ったが、結局京王線でしか使わなかった。

帰りに、ハワイでは買えない、または高価なものを購入して、この日は自宅で寛いだ。

男前豆腐

The GOLD

有難きは母の手料理。
posted by じゅにーK at 12:52| ホノルル ☀| Comment(8) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

2007・JAPANツアー・Part3

ハワイに住んでいると、日本各地から訪れる人たちと知り合う機会があり、何度もハワイで会っているうちにすっかり仲良くなることがある。

普段はハワイで会ってばかりだが、「日本に来た時には是非遊びに来て」と誘われることも少なくなく、いまや日本各地からお呼びがかかっている状態なのだが、中でも熱烈に誘われ続けていたのが大阪。

実は今まで大阪には一度も行った事が無く、実はちょっと怖い町を想像していた。

大阪ローカルの友人達に急な帰国の件を連絡すると、これはもう行かなければ話にならない状態になってしまい、日替わりでガイドの変わる濃〜い小旅行となったのである。


3月26日は昼過ぎに東京駅に向かい久しぶりの新幹線〜!

新幹線〜!

ちなみにJAPAN RAIL PASSでは新幹線の乗車券と指定券まで無料になる。

それ程混んではいなかったが、駅で食料を買い込んで乗車。

お弁当

気分はすっかり遠足の小学生。

富士山を見ようと思ったのに、富士山側の座席から予約が埋まると言うことで既に一杯で、反対側になってしまった。

ところが私の席の列の富士山側に座った人達は、東京駅を出ると早々とスクリーンを下ろし爆睡。

どうしてこう言う輩がいるのかね?

弁当食べて、チラッと雑誌など読んで、私も少し仮眠。

新大阪の駅に到着すると、以前ハワイで一緒に仕事をした撮影スタッフのJ君が出迎えてくれた。

新大阪

そのまま南森町の「東横イン」にチェックイン。

東横イン

このホテルは2日間宿泊したのだが、簡単だが朝食が付いていたのと、加湿器が部屋に備え付けだったのが嬉しかった。

荷物を下ろすとロビーに戻り、J君を初めN師匠、Tさん、そしてマイミクでもあるPANAさんと久しぶりのご対面。

まずは地下鉄堺筋線に乗り込み恵美須町へ。

地上へ出るといきなり通天閣がこんばんは。

通天閣

この辺りは怪しいオジサンが路上で踊ってたりしたが、ここ新世界では目の据わってないオジサンは特に危険では無いそうである。

そして入り込んで行ったのはジャンジャン横丁。

ジャンジャン横丁

そしてまずは名物の串カツからいただきました〜。

串カツ

2度漬けは禁止なので、さらにソースが欲しい場合はキャベツを使ってすくうのだそうだ。

ここは「やまと屋2号店」さん。

やまと屋2号店

生ビール2杯目からは、ミニジョッキがサービスでついてきた!

さすが大阪!!

その後ジャンジャン横丁をブラブラして、ビリケンさんとも写真を撮って、

ビリケンさん

ミナミへ移動。

日本橋

道頓堀周辺を案内してもらった。

くいだおれ

かに道楽

グリコ

そして法善寺横丁へ入って、

法善寺横丁

夫婦善哉

水掛け不動さんをお参り。

水掛け不動尊

最後は法善寺横丁内の「是是(ぜぜ)」と言う渋いバーで1杯飲み、またちょっと違った大阪の面も見た。

帰りはタクシーでホテルに戻ったのだが、なんと端数をおまけしてくれたのだ。

ほんの数メートル程ホテルの入り口を過ぎてしまっただけ。

大阪のタクシー業界の競争が激しいのか、大阪の人が優しいのかわからないが、大阪の初日はとても幸せな気分で終わった。
posted by じゅにーK at 19:19| ホノルル ☀| Comment(8) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月16日

2007・JAPANツアー・Part4

大阪の二日目はどんよりと曇り、午後からは雨の予報だった。

泊まったホテルのウェブサイトで付近地図を見ると、「大阪天満宮」なる神社が近くにあることがわたったので、早速お参りに行った。

大阪天満宮

ここの桜はまだ1分咲きと言うところだった。

大阪天満宮の桜

その後はホテルの前の高速道路下をJRの天満駅まで歩き、大阪駅に出た。

大阪駅

ここでは昔東京に住んでいた幼馴染のRと20年振りに会うことになっていた。

20年振りと言ってもメールで近況などは知らせあっていて、仕事も手伝ってもらったりしているのだが、実際に会うのは本当に20年振りで、今は神戸に住んでいる友人も実は大阪が不馴れだと言うので、大阪駅での待ち合わせになった。

早く着き過ぎた私は駅を一度出ることにしたが、雨も降ってきて、知らない土地で困っていたら、「ヨドバシカメラ」を発見。

覗いてみる事にした。

ハワイには絶対に無い規模にびっくりして、平日の昼間に随分客が多いのにも驚いた。

品揃えは豊富で、最新型が揃っていたが、安いかと言うと、ちょっと疑問だった。

本来は型の少し古いのも、値段を安くして置いてあってもイイのに、それがほとんど無かった。

と言っても、上から下までウィンドウ・ショッピングだけでは済まずに、幾つか購入してしまった・・・。

駅に戻って友人と再会して、「お互い年取ったなぁ」と言う話はしないことにして、昔話に花を咲かせた。

雨も降ってるし、お互い知らない場所でうろうろするより駅ビルを使おうと言うことで、大丸大阪梅田店の「かさ」と言う日本蕎麦屋でランチを食べ、隣のホテルグランヴィアの展望フロアでお茶をしながら大阪駅周辺を見下ろした。

大阪駅周辺

工事が多かったが、まだまだ変わりそうな町に見えた。

忙しい友人と別れた後、天満の駅に戻りホテルに帰ろうと思ったら、アーケードがあることを発見。

普段持ち歩かないので、大阪で傘を無くしていて、ちょうど良かった。

後で知ったのだが、この天神橋商店街は日本で一番長いらしい。

こう言う商店街を歩いていても、大阪の人はなんだか人情味があるように思えた。

ホテルに戻って一服していると、大阪のローカルのニュース番組に、以前ハワイで一緒に仕事をした事があるモデルさんがアシスタントとして出ていた!

実は昨晩一緒に飲んだ連中と仕事をした時にいたモデルさんで、この話は聞かされていたのだが、実際に見て驚いた。

そしてその同じ連中と今晩は大阪の夜第2弾である。

ホテル周辺の大阪東北地区(この辺りもキタなのかな?)を案内してもらった。

「お好み焼き」をリクエストしていて、天神橋筋界隈を歩いたのだが、行き付けのお店が休みだったりしてちょっと迷って行き着いたのは「ひろ川」と言う店。

ひろ川

最初は客が入っておらず、大丈夫かなと思ったのだが、愛想の無い店員が運んでくる料理は皆美味しくて、いつの間にか店も一杯だった。

夜の天神橋商店街も歩いて、

天神橋商店街

怪しい横道に入っていくと、2件目は「びすけ」と言う居酒屋。

びすけ

この時期どこでも旬のホタルイカを食べることが出来たが、酢味噌和えの多い中、ここでは生姜下ろしとレモンでも美味しかった。

また、アナゴの稚魚である「のれそれ」と言うのを初めて食べたが、これがまた美味しかった!

皆には二日間に渡り感謝!

帰りに屋台で「キャベツ焼き」と言うのを買って、ホテルで夜食にして食べた。

キャベツだけのお好み焼きと言う感じだが、たったの110円。
安い!

キャベツ焼き

こんな感じの大阪二日目でした。
posted by じゅにーK at 18:20| ホノルル ☀| Comment(4) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月18日

2007・JAPANツアー・Part5

翌日は朝から良く晴れた。

ホテルをチェックアウトすると、京都から出てきてくれた友人のKちゃんが迎えに来てくれた。

今日の観光は「大阪城」。

大阪城

大きな噴水があったので写真を撮ろうとしたら、なにやら人が多かったが、いつもの事だろうと思って上からパチリとやると、変なオバサンがしゃしゃり出てきた。

「済みません!写真は撮らないで下さい!」だと。

どうやらタレントの乙葉ちゃんがいたらしい。

噴水の乙葉

中央の赤と白の衣装の人がその様だ。

こっちは噴水の写真撮りたいのに、勝手に撮影してる連中がこんなこと言うなんて、とちょっと憤慨。

アメリカだったら喧嘩になるな。

まあ天気も良くて暖かかったので、ブラブラ歩いて、たこ焼きも食べて、

たこ焼き

天守閣にも上がって、

天守閣からの眺め

豊国神社にもお参りして大満足。

豊国神社

木によっては随分花が咲いている桜もあった。

さて夕方にKちゃんと再びミナミに出て、ミナミで育ったと言うSちゃんと待ち合わせ。

仕事でKちゃんがちょっと外している間に、今晩のホテルにチェックイン。

この日の宿は米系の「コンフォートホテル」

コンフォートホテル

荷物だけ置いてすぐに街に出ると、まずは立ち飲み屋さんに連れて行かれた。

大阪はまづ立ち飲み屋が多いのに驚いた。

早い時間から結構人も入っている。

何しろ安くて、さっと飲めるシステムは羨ましいが、ハワイはリカーライセンスの関係上、こういった形態の店は営業できないのが残念。

写真を撮り忘れたが、この店はキリンビールの系列らしい。

牛スジをつまんで一杯飲んでから、Kちゃんと再び合流して、地下街に入っていった。

ここもあっという間だったので名前を忘れたが、カフェでシャンパンを飲んだ。

そしてもう一人、やはりミナミ育ちのMちゃんが加わって、心斎橋の「でりしゃす」と言う店に行った。

ここは路地を入っていった穴場的な店で、今日は私が肉を食べたいと言うリクエストをしていたので、Sちゃんが予約を入れてくれた。

でりしゃす

ここでも大変美味しい料理をご馳走になった。

明日の仕事のためにと言うことで先に帰ったKちゃんとMちゃんを見送ると、その後Sちゃんが連れて行ってくれたのはプロ野球選手もよく訪れるという高級クラブ「クリスタル」。

Crystal

さらに今度は狭い路地を入っていったところにある小さなショットバー「菊」に行った。

菊

まだ次と言う話も出ていたが、既に2時を過ぎて私もフラフラになってきたので、ここで終了。

今宵も皆さんありがとうございました。
posted by じゅにーK at 13:26| ホノルル ☀| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月19日

2007・JAPANツアー・Part6

5時間ほどの睡眠の後、「コンフォートホテル」をチェックアウトした。

本当はここで2泊したかったのだが、この晩は部屋が取れず、早起きとなった。

朝のミナミの街を荷物を持って移動して、この日押さえた「ホテル・メトロThe21」まで歩いていったが、当然まだチェックインは出来ず、とりあえず荷物だけ預けて再び街に出た。

この日は夕方まで予定が無く、ようやくわかってきたミナミの街をブラブラすることにした。

と言っても既にグリコの看板やかに道楽ではもう感動しなくなっている。

「ドンキホーテ」は日本の店舗に初めて入ったが、まさにジャングルと言う感じで面白かった。

道頓堀川沿いに回っている観覧車は乗らなかったけど、ここで火事が起きたら逃げ道に迷うだろうなぁと、やはり感じた。

「ビッグカメラ」をちょっと覗いた頃ランチにしようと思ったが、どうもまだ一人でミナミの食事処に入っていく勇気が出ず、新歌舞伎座前の難波に出て御堂筋を北上したら、

新歌舞伎座

「ロイヤルホスト」があったので入った。

私が通った高校の裏手にも「ロイヤルホスト」があり、なんだか懐かしくなって、ハンバーグステーキを食べたら美味しかった。

その後さらにミナミを散策して、ホテルに戻ってチェックイン。

ホテル・メトロThe21

夕方からは、やはり京都から友人のEちゃんが出てきてくれた。

入った店は「ちくちく」と言う割とオシャレな居酒屋。

ちくちく

カウンターで飲み食いしながら語り合ったあと、電車が終わる前にもう一軒という事で次を探したが、どうも感じのイイ店が見つからず、それなら前日の最後に行ったショットバー「菊」に行こうという事になったのだが、やはりそう簡単には見つからなかった。

そこで街の人に聞いてみたのだが、どの人もとても親切で、東京では考えられないほどの対応だったのに驚いた。

殺伐とした東京より、大阪はハワイに近いのではないだろうか?

ようやく探し当てた「菊」で一杯飲んで、心斎橋の駅でEちゃんと別れ本日終了。

帰りにホテルの近くのコンビニで夜食を買ったが、朝から昼間とは打って変わって、ホテルの周辺がすっかり歓楽街になっていたのにもびっくりした。
posted by じゅにーK at 15:08| ホノルル ☀| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

2007・JAPANツアー・Part7

翌日はスカイダイバーの友人Mヤンが温泉に連れて行ってくれるということで、まずは指示を受けて途中まで一人で移動することになった。

南海難波駅に出て、

難波駅1

鉄人28号みたいな電車がいると言われたが、結局こんな電車に乗って、

難波駅2

岸和田へ移動。

岸和田駅

駅前のロータリーにMヤンが迎えに来てくれた。

まずはランチと言うことで、行きつけのうどん屋さんに連れて行ってもらったが、生醤油うどんは美味しかったぁ〜。

その後和歌山に向かってドライブ。

途中紀ノ川沿いの「桃源郷」を通ると、丁度桃の花が満開で、ピンク色の花が咲き乱れた素晴らしい光景に出くわした。

その紀ノ川の土手に車を止めて、しばしお花見。

桃源郷1

桃源郷2

この日も良いお天気で、川辺に吹く風も気持ち良かった。

そしてどんどん山奥に入って行き、道幅の狭いクネクネ道を進むと、「メロディーロード」なる標識が出てきた。

メロディーロード

本州で唯一のメロディーロードなのだそうだが、これは路面に溝が刻んであり、一定の速度で車が通過すると振動で音が出ると言うもの。

そしてその溝の微妙な調整によって、音階を奏で、歌に聞こえると言うものだが、坂本九ちゃんの「見上げてごらん夜の星を」がなんとなく聞こえてきた。

しかし他に走っている車はほとんどが地元ローカルで、観光用という感じには思えなかった。

ちなみにこの道の狭さに合わせてか、ほとんどのローカルの車は軽トラか軽乗用車だった。

道路はタンタラスの丘の裏道程の幅だったが、実は国道の370号線。

さらにしばらく走り、山間にある本日の宿、美里温泉「かじか荘」に到着。

本当に山に囲まれた静かな場所で、携帯電話も圏外。

チェックインの際に私のことをチラッと見たフロントクラークが、「浴衣はお部屋にご用意してありますが、『大』と『特大』もございます・・・。」と言ってくれたので、迷わず『特大』をお願いしたが、結局188センチの私にはツンツルテン。

かじか荘の浴衣

しかし凄い色!

そんな事より温泉!と言うことで、5年振りの温泉を堪能した。

露天もあり、どこかのスピーカーから流されているのではないかと疑ってしまうほど、山のあちこちから「ホ〜ホケキョ!」と鶯の声がしきりにこだましていた。

Mヤンは私と歳の変わらない男性だが、大変若い彼女と付き合っていて、私はひそかにその彼女と、彼女の友達なんかが一緒だったら盛り上がるかなぁ〜なんて思っていたが、種類も量も大量の夕食の後は結局男二人で遅くまで語り合った。

posted by じゅにーK at 14:21| ホノルル ☀| Comment(2) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月22日

2007・JAPANツアー・Part8

静かな山の中での一泊はよく眠れたが、この数日の疲れが出たのか、朝から少し喉が痛かった。

朝風呂にも入って、川沿いの食堂で朝食を食べていると、窓の外にはツバメが飛び交っていた。

ハワイとはまた違う田舎の自然の雰囲気に大満足して、「かじか荘」チェックアウトした。

美里温泉かじか荘

そのままMヤンに新大阪の駅まで送ってもらって、初の大阪+和歌山の温泉ミニツアーは終了。

駅で一緒にランチをしてMヤンと別れた。

Mヤン、BIG MAHALO!

さすがになんだかすっかり大阪弁がうつってしまった・・・。

丁度終わったばかりの大相撲大阪場所から日も浅く、お相撲さんの移動とぶつかった。

お相撲さん

帰りの新幹線も、富士山とは反対側で、しかも結構混んでいた。

3時間ほどぐっすり仮眠して、東京駅からJR中央線で吉祥寺に出た。

今晩は吉祥寺の中学校のバスケット部関係の飲み会の予定だった。

ところが結局連絡が上手く着かずに、恩師の先生とサシで飲むことになった。

昨年はガンの手術をして、3ヶ所も切ったそうだが、「最近また少し飲める様になった」と言ってビールを飲む77歳の先生は、10年程前には何度かハワイにも遊びに来て下さった事がある。

さすがに病後と言うことで長くは一緒にいられなかったが、久しぶりにお会い出来てとても嬉しかった。

先生と別れた時点でもまだ時間は遅くなかったが、私もなんだか疲れてきて、仙川の実家に帰ることにした。

早い帰宅に少し驚いた母に、「ちょっと熱っぽい」と言うと、体温計を持ってきてくれた。

すると38度を越えていた!

普通の風邪なら鼻や喉から症状が出てくるのだが、朝方少し喉が痛かった程度で、これだけの熱が急に出ると言う事は、もしかしてインフルエンザ??

とりあえず即寝た。
posted by じゅにーK at 12:13| ホノルル ☀| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月24日

2007・JAPANツアー・Part9 最終章

次の朝、フラフラの頭を「ヒエピタ」で冷却しながら熱を測ると、なんと39.5度まで上がっていた。

実は私のハワイの家には現在体温計がなく、3〜4年は自分の体温など測ったことがなかった。

それでも熱があるなんて思った事は無かったのだが、この時ばかりは現実の数字を見て目眩がした。

そしてこの後の2日ほどはほとんど記憶がない。

物凄い汗をかいて、ボーっとした状態の中、夜中になると部屋の冷えた空気が鼻から身体の中を冷やす感覚で目が覚めたりした。

私が日本にいた時期、ニュースになっていたのは石川県輪島の地震、スケートのミキティー優勝、そしてタミフルによる異常行動だった。

まさか自分がそのタミフルを飲むことになろうとは・・・。

母には「あんたがベランダから飛び降りようとしても、私は止められないよ。」と言われたが、3日目くらいでようやく食事をとる事が出来るようになったので、薬を飲み始めた。

タミフル

タミフルの他にも幾つか熱冷ましや鎮痛剤などを服用し、痛かった節々も落ち着いてきた。

まさか日本に行って母親に看病してもらうとは思っていなかったが、この時は本当に感謝した。

まあ昔は熱があると水で絞ったタオルをおでこに乗せてなんて言うのが看病風景だったが、今は数時間おきに「ヒエピタ」とか「熱冷まシート」なんて言うのを交換してぴたっと貼るだけ。

剥がしたのはまた台紙に戻して冷蔵庫へ。

しばらく病気なんてしたことが無かったので、こんなことにも感心してしまった。

食事は、母の手料理と言っても、おかゆや蕎麦くらいしか最初は食べられなかった。

そしてほぼ5日間の病人生活の後、熱もほとんど下がり、ハワイへ戻ることになった。

戻る前日の4月4日には、ハワイで開いている鍋会のイベントが六本木で開催される予定で、これも楽しみにしていたのだが、なんとその4日には外には雪が降るような陽気で、結局家の中で震えていた。

しかし戻る当日の5日は朝からよく晴れて、実家のベランダからは富士山がよく見えた。

富士山

成田エアポートには友人のMちゃんが見送りに来てくれて、一緒に寿司を食べて、少し話をすることが出来た。

そろそろ時間と言うことでセキュリティーゲートに入っていくと、カバンの中から母が直前に持たせてくれた漬物が出てきた。

そして内容量が100グラムの「ふじっ子」はOKだが、150グラムの「きゅーりのキューちゃん」は駄目だと言う。

液体の持ち込みは一つ100グラムまでと言う規定があるのは知っていたが、漬物の内容量は水分だけの重さではない。

「この『きゅーりのキューちゃん』が爆発物に見えるかー!!」っと喧嘩しそうになったが、そんな元気はまだなく、言われるままに没収されて、まあ見送りに来た友人がまだゲートの近くにいたので引き取ってもらう事は出来た。

帰りの飛行機では初めてパーソナルTVが付いていた。

なんだかウキウキして、色々いじってみて、ゲームをしたり、映画も「ロッキー・ファイナル」を見た。

ちなみに隣に座った日本人の親子は「犬神家の一族」を見てた。

それに1〜2センチ膝の前のスペースが広いように感じたのだが、パーソナルTVの為に背もたれの幅が厚くなっているようで、食事の時は前の人がちゃんとリクライニングを戻していても、私は顔を前に出すと頭がつかえてしまった・・・。

まあ成田で食事は済ませたばかりだったので、あまり手は付けなかった。

行きに比べたら帰りは早く感じたが、あっという間にホノルルに戻ってきた。

快晴の空にプルメリアの香りを嗅いで、ハワイに戻ってきたことを実感。

アメリカ市民はイミグレーションは早い。

指紋採取や写真撮影がある訳ではないので、「里帰りから戻ってきました」と言うだけだったが、結局荷物が出てくるのにしばらく待った。

そしてカスタムで引っかかってしまった。

35キロもあるスーツケースの中から、食品を取り出して、原材料を調べだした。

鳥や牛の肉類が駄目なのは知っていたが、母が持たせてくれた大量の食料品を私は一々チェックしていなかった。

するとパスタソースやチャーハンの素などに鳥のエキスなどが入っているのを見つけたらしく、「トリ〜!トリ〜!」と日本語の文字を見つけて喜ぶ検査官の女性は、まるで宝探しでもしているようだった。

結局いくつかは没収され、最初から最後までスムーズな旅という感じにはならなかった。

窓全開のタクシーで家に戻ると、荷物を解き始めたのだが、日本と比べて湿度が高く、なんだか汗が吹き出てきた。

この日は疲れもあって早めに寝たのだが、翌朝、母にもらった体温計で熱を計ると37.5度あり、だるさが出てきてダウン。

残りのタミフルなどの薬も摂りながら4日ほどは家の近所から出られなかったが、日本での楽しい事を思い出しながら、あっという間の旅を思い返していた。

久しぶりに会えた人は勿論、桜なんて十数年振りに見ることが出来たし、色々と美味しいものを食べたり、大阪にも行ったり、温泉にも入ったりして、自分の中にある日本人を再認識することが出来た。

東京では予定がこなせず悔しい思いをしたので、次回はなるべく早めに、東京リベンジを第1の目的として帰国したいと思う。

さあそれはいつになるのだろうか?

posted by じゅにーK at 12:25| ホノルル ☀| Comment(2) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月30日

自民党惨敗

小泉純ちゃんから引き継がれた安倍政権は、美しい国という大儀の元に国民投票法案などを可決させて、憲法改正などを視野に入れた国づくりを進めてきた。

小泉路線、つまり国を改革していく政策を継承するという所までは同じだったのだが、組閣のやり方が大きく違い、結果的にはそこから色々とボロが出て資質を問われた。

年金問題については過去からの問題が表面化したに過ぎず、安倍さんにとってはタイミングが悪かったのだろう。

歴史的大敗によって与党が参議院で過半数を割ったことで、安倍首相も責任問題を問われているが、かといって今の自民党に首相の器は他にいない。

衆議院では3分の2の勢力を保持しているが、参議院では各委員会も含めて議長席も失い、今までのような強行採決なんて難しくなる。

躍進した民主党は小沢党首が疲れでぶっ倒れてしまったが、これからの責任は大きい。

2大政党の時代が来るなら批判ばかりではなく、現実的な政策を掲げてそれを遂行させなければならないが、まだ政権交代が実現したわけではない。

こんな不安定な政情の中でも、日本は多くの問題を解決する方向に進めなければならない。


今回の選挙は期日前の不在者投票が大幅に増えたそうで、ハワイでも在外投票を行った友人が多くいた。

ところが実際の日本の選挙は今回も投票率が60%を切り、相変わらず国民の関心の薄さにはがっかり。

自分の祖国の、自分の子孫がこれから受け継ぐ国の事に関心が薄いって言うのは、日本人が既に諦めてきている表れなのだろうか?

あなたは投票に行きましたか?
posted by じゅにーK at 15:37| ホノルル ☀| Comment(9) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月31日

政権交代

久しぶりに日本について書きたい。

今回の自民党惨敗は、小泉首相以来、コロコロと総理を変えてきた自民党がとうとう国民に愛想を付かされたという事なのだろう。

党首を変えてきたのは民主党も一緒だが、自民党と官僚政治、さらに自民党の周りで美味しい思いをしてきた人たちに、日本人がマジでNGを出した結果なんだと思う。

で、とうとう政権交代な訳だが、民主党が自民党とは違うところをどれだけ国民に示せるかにかかる事になる。

国民の暮らしが良くなればそれは勿論大変結構。

しかしいろいろな仕組みを変えれば、反対勢力だって必ず出てくる。

また、長期目標のために一時的に負担が増えるかもしれない。

それらがどのように、どんなタイミングで出て、マスコミがどのように取り上げるかによって、国民がその次に選挙で出す審判を決めるかもしれない。

今回は投票率も高かったと聞き、政治に関心を持つ日本人が増えていることが嬉しいが、今の政治が悪いと気付いた人が増えたということなのだろう。

選挙に行かれた皆さんご苦労様でした。

これから日本がどれだけ変わっていくのか、変われるのかを見るのが楽しみ。

  
posted by じゅにーK at 18:04| ホノルル ☀| Comment(2) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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