2007年08月05日

日米の新時代

アメリカのメディアは、8月1日にミシシッピ川で起きた橋の崩落事故のニュースばかり続けているが、既に死に体となったブッシュ大統領が事故現場に現れて、ハリケーン・カトリーナの時の対応の拙さを国民に思い出させないように努めていた。

アメリカでは老朽化したり、危なくなっている橋が数多くあり、ハワイにもそのうちのいくつかが入っているそうだ。

何か兆候でもあれば別だが、昨日まで普通に渡っていた橋が突然崩れ落ちるなどと誰が予想できるだろうか?

テロリストが爆弾なんか仕掛けなくても、古くなった橋は危なくなる。

橋が落ちた事はブッシュ大統領の責任ではないが、国内で必要な所にお金を使わずに、戦争に税金を回し続けている事は大きな責任問題だろう。

このまま行けば、来年にはアメリカの歴史上初の女性大統領か、初の黒人大統領が誕生する。

クリントン候補とオバマ候補はお互い一歩も引かずに、キャンペーンを繰り広げている。

どちらが勝っても民主党は戦争を辞めてくれると思うが、対日政策は厳しくなるかもしれない。

クリントン候補とオバマ候補の違いが大きく感じられたのは、パキスタンに潜伏しているとされる、ビンラディン容疑者に対する対策。

パキスタン政府が動かないのなら、米軍を投入しようと言う意見が出ているが、この際に核兵器の使用論まで持ち上がっている。

オバマ候補は、民間人を巻き込む恐れのある場所で核兵器は使わないと明言したのに対し、クリントン候補は、あらゆる可能性を否定してはいけないと言った。

これはとても重要な違いに聞こえる。


一方、日本ではやはり安倍首相の退陣論が噴出している。

福田元官房長官や、小泉前首相の名前が上がっているが、衆院解散ということになれば、今の状態だと民主党への政権交代も十分ありえる。

いずれにせよ来年には日米に新政権が誕生して、世界が大きく動くだろう。

それが地球を救う方向に繋がることを祈って止まない。
posted by じゅにーK at 13:35| ホノルル ????| Comment(3) | アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月07日

4th of July

7月4日はアメリカの独立記念日。

普段から、ハワイはアメリカとは違うなんて言う考え方の多いこの州では、本土に比べてお祝いムードはあまり無い。

でも3日の夜はアロハタワー、4日はアラモアナで花火大会があった。

アロハタワーの花火は家から少し見えたが、4日の夜は「とっくり亭」で飲んでいたので、音も聞こえなかった。

アメリカ本土では異常乾燥状態が続いているところが多く、花火大会がキャンセルされた所もあった。

気温が45度まで上がった地方もあり、温暖化の対策を国のレベルで真剣にやらなければならないのは明白だが、ブッシュは口先ばっかりで正反対のことに一生懸命。

結局排出ガスの規制などを行うと戦争がやりにくくなってしまい、大事なスポンサーに頭が上がらなくなるのだろう。

ミサイル増やした所でテロが減る根拠は無い。

それを他国の土地に設置するなんていってるのだから、その近所のロシアが怒るのも無理は無い。

アメリカが良心を取り戻すのはいつだろうか?
posted by じゅにーK at 12:15| ホノルル ????| Comment(4) | アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月10日

温暖化は国家の安全に直結する問題

元アメリカ軍の幹部らで構成される軍事諮問委員会が、このまま地球温暖化が進むと近い将来、水不足や凶作などがアジアやアフリカ、中東などでの貧困層の暮らしに影響を与え、国家の破たんや政治的不安定が拡大し、紛争やテロが増えると予測した。

結果的に大量の環境難民の発生、水資源や食料をめぐる争いで国家間の対立も起き、米軍が紛争解決への関与を余儀なくされ、また他の同盟国も国内での対策を迫られると軍事協力が手薄になるとの危機感も示したそうだ。


これって、何を今更?な予測なのだが、京都議定書への批准を断ったブッシュ政権が死に体となり、アメリカでは各州や企業レベルでの温暖化対策が叫ばれるようになってきて、ブッシュ政権や次期政権への政策転換を求める声を表してもいると思う。

しかしそれでもアメリカが自分の国の事しか考えていない姿勢はかわらない。

温暖化は国家の安全どころか、人類の安全、地球の安全というレベルから見なければ防げる話では無いと思う。

このままでは結局資本経済主義が自分で自分の首を絞める結果が待っている感じがする。
posted by じゅにーK at 12:25| ホノルル ????| Comment(3) | アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月21日

牛肉

先月ようやく再開された日本への輸出。

すっかり肉が大好きになっている日本人にとって、嬉しいニュースだったはずだ。

日本人の気質から言って、安全への不安があるものは受け付けられず、再開までは多くの協議と時間をかけたが、「全頭検査」と言う日本国内の基準を曲げてアメリカの言い分を聞き、ルールを作った。

それがたったの1ヶ月で破られてしまった・・・。

アメリカなんて結局こんないい加減な国なのである。

もしもアメリカが帝国主義で世界を統一しようとしていても、こんな国に誰が付いていくだろうか?と思ってしまう。

世界を統一するにはスタンダードが必要になるが、アメリカは自分たちのやり方を変えようとはしない。

国際基準のメートル・グラム法を使わずに、外国との宇宙開発協力で莫大な損失を出すチョンボをした事もある。

昨日の小泉首相の施政方針演説でも、日米同盟の重要性を歌いながら「京都議定書」の話を出してアメリカにちくりとやったのは、ちょっと面白かった。

結局アメリカが一生懸命なのは自分たちの儲けの事ばかりで、他の国の国民の事も、地球の環境も考えていない。

と、久しぶりにかなりがっかりした。

まあ、アメリカでも今回の輸出に関して大騒ぎをしているようだが、日本人消費者はそう甘くは無いと思う。
posted by じゅにーK at 18:36| ホノルル ????| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月01日

ハリケーン・カトリーナ

メインランドがハリケーンで大変な事になっている。

今日、仕事中にワイマナロのビーチパークのブラダと話した時にも、最初の話題はこれだった。

もう13年も台風の来ていないハワイでは、92年のハリケーン・イニキも82年のハリケーン・イヴァも既に忘却の彼方なのかも知れないが(少なくとも私はまだハワイでハリケーンを1度も経験した事がない)、貿易風に弾かれて基本的に台風が近寄ってこれないハワイでは日本の台風も考えられない。

しかし、アメリカ本土の南部を襲ったカトリーナは物凄い爪あとを残した。

大きな町が完全に破壊されている。

あちこち水浸しでまだ水位が上がっているところもあるらしい。

比べるのは不謹慎かもしれないが、昨年末のインド洋の大津波で破壊された町とよく似ていた。

そしてそこがアメリカ合衆国と言う大国で、家や堤防、橋などの強さはインドネシアの比ではないと言う事だ。

死者は千人を超えるかもしれないとニュースは伝えているが、家や車、仕事も家財道具も失った数百万の被災者が3日間も飲まず食わずの状態に置かれているらしい。

ブッシュ大統領は、このハリケーン・カトリーナによる災害はアメリカの歴史上最悪の自然災害になるだろうと言っている。

略奪も横行し、銃まで大量に盗まれているらしい。

石油の精製も出来なくなり、ガソリンがまた上がりそう。

せっかく本土からのツーリストが増えていたハワイにも影響が出るかもしれない。

自然災害とは言え、やはり世界規模で地球環境がおかしくなっているのは明らか。

自国の産業を守るために京都議定書に参加せず、一番儲かっているのは1日平均約1億8600万ドル(204億6千万円)を使っているイラク戦争でビジネスをしている連中。

戦争している場合じゃない!

地球を守らなくちゃ。

ハリケーン・カトリーナで亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
また被災された方々にはお見舞い申し上げます。
posted by じゅにーK at 16:09| ホノルル ????| Comment(0) | TrackBack(1) | アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

アメリカについて語る1

アメリカに住んで合計17年ほどになる。

9年前には市民権も取得して、パスポートはアメリカ。
日本に帰ると「帰国」では無く、「上陸許可」と言うスタンプが押される。

1984年、最初にLAに渡った20歳の時のアメリカは、何でも大きくて、やる気を出せばチャンスのある場所、自由で見栄を持たずお互いを認め合うと言う、良い印象が大きかった。

特にLAは、中学時代からの憧れのレイカースの本拠地でもあり、高校時代からはまっていた洋楽の聖地でもあった。

からっとした地中海性気候のLAは夏場は雲さえ出来る事が少なく、町の緑は多く、ちゃんと管理されていた。

そんなところにアメリカ人は大都市を作って、10車線以上もあるフリーウェイは毎日ぎっしりと渋滞していた。

だが人口密度は東京のそれと比べると遥かに低く、大きな体のアメリカ人でが余裕を持って生活できるように、家も街も設計されていた。

おりしも1984年はLAでオリンピックが開かれ、家の近所を聖火ランナーが走るなど、活気に溢れた雰囲気にも触れることが出来た。

しかし山下の柔道も見れない現状を知り、ここは日本ではないのだと痛感した。

次第にアメリカナイズドされ、ある物はアメリカ流に、ある物は日本の流儀のまま生活するようになる。

この国が日本と大きく違うところは、多民族国家であるということだ。

多くの国からの移民者がいて、その2世3世がいる。

既に見た目では判断できない社会で、英語だけが共通語となる。

多くの国の人たちと友達になった。

英語は道具だった。

アメリカの生活に慣れてくると、いつの間にかレストランの店長になっていたりしたが、自分の限界も見えてきた。

何しろ日本にいてそのまま大学に行っていたらどうなっていたか、と言う事に限界を感じて日本を出たのである。

いずれにせよまだ20代前半である。

ここから日本とアメリカを往復しながら、どこに住むのかも迷いながら、コンピュータの仕事をしたり、ツアーの仕事をしたりして20代を過ごした。

アメリカはこの間に湾岸戦争をして、私もぎりぎり徴用される可能性の残る年齢を過ごした。

結局アメリカで生活したいとは思ったが、それはアメリカが好きと言う理由よりも、日本での生活に不便さを感じていたからだと思う。

188センチと、日本ではちょっと規格外サイズの私はどこに行っても頭をぶつけ、腰を痛めていた。

電車に乗る時は勿論、家の中でさえ窮屈な思いをしていたし、洋服や靴は全て高くついた。

英語は話さなくてはならないが、アメリカでは普通の人としての生活が出来た。

しかし最初に見た時から10年後のLAはすっかり荒れ果て、ホームレスと犯罪の町と化していた。

暴動があり、天災も続き、私はLAを諦めハワイに移った。

すると離れ小島のハワイでは、人々がアメリカの事を随分客観的に見ていることに気付いた。

その後、大好きだったアメリカはどんどん私を裏切っていく。

日系アメリカ人として、アメリカについてこれから色々語って行きたい。
posted by じゅにーK at 17:38| ホノルル ????| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする